「自分のバリュー」を出せずに苦しんだ新人時代
![]() 新潟生まれ。86年、経営コンサルティング会社マッキンゼー入社。96年に同社のパートナー(共同経営者)に就任。99年独立。 So-net、リクルートなどの出資を受け、ディー・エヌ・エーを設立。オークション&ショッピングサイト「ビッダーズ」を立ち上げる。その後、不用品の買取見積りを取るサービス「おいくら」、携帯電話を主体としたオークションサービス「モバオク」などを次々と立ち上げて、日本のeコマースに新風を巻き起こしている。 |
「日本におけるモーゲージのセキュリタイゼーションについて調べて」マッキンゼーに入社して、最初に割り振られた仕事がこれだった。モーゲージ? セキュリタイゼーション? いわれている言葉の中で、唯一理解できた名詞は「日本」だけだった。
かっこいいと憧れを持って入った会社だったが、現実は甘くなかった。とにかく仕事の中身が難しい。リサーチ業務が多かったのだが、何をしろといわれているのかを把握するのに時間がかかり、実際の作業を開始するのがどうしても夜になる。夜中の3時、4時まで仕事をして、タクシーで帰って、シャワーを浴びて、2、3時間睡眠を取ってまた出勤。遊びたい盛りでもあったから、睡眠を取りに帰るかわりにお酒を飲みに行ったりもした。そんな日々の繰り返しだった。上司からはよく「自分のバリューを出しなさい」といわれたが、いつまでたっても要領がつかめず、自分のバリューが何なのかもわからず、南場さんはしだいに焦っていく。入社して2年経った頃には、精神的にも、肉体的にも限界を迎えていた。
その頃南場さんはよく、先輩に頼まれて海外留学のための応募書類を作成していた。心身ともにボロボロになっていた彼女は、職場から逃亡する術としてMBA取得を口実にした海外留学を考えるようになる。人の書類を作成している場合じゃないと自分の応募書類をめいっぱい見栄えよく作成し、ハーバード大学ビジネススクールに提出。結果、入学許可通知が来る。一連の経緯を知らされていなかったマッキンゼー代表の大前研一氏は「誰が推薦状を書いたんだ!」と怒ったそうだが、南場さんはとにもかくにも現実から逃れたくてすべてを振り切るように日本を脱出した。
息抜きの時間、と二度目の留学は遊びまくる
大学時代の留学は、奨学金をもらって行ったこともあってよく勉強した。しかし、今回はモチベーションが地に落ちた状態だったから、まったく勉強しなかった。授業が終わって一路向かうはチャイナタウン。車を持っている友達を捕まえて、何人か同志を募って繰り出すのだ。それも毎日のことだった。ビジネススクールでは結構な量のホームワークが出ていたから、友達もずっとはつきあってくれない。南場さんはいつも、今日遊んでくれそうな友達を見つけることに懸命になった。ゴルフの楽しさを覚えたのもこのときだ。南場さんの人生で初めて訪れた大きな息抜きの時間だった。
しかし、こんなに遊んでいたにもかかわらず、ビジネススクールでの成績は悪くなかった。マッキンゼーで毎日リアルビジネスに対峙していた彼女にとって、すでに時間の経過した事例研究などそれほど難しいテーマではない。授業での貢献度は低かったものの、筆記試験では生来の負けず嫌いも手伝ってバリバリ回答、難なく進級して修業年限2年を終える。さて、この先の人生をどうするか。普通なら、そのまま米国に残ってさらにキャリアを磨くのではないだろうか。実際、マッキンゼーのニューヨークオフィスから就職オファーを受けていた。しかし、ここで南場さんは日本へ、それもマッキンゼーへ戻ることを選択する。その理由の一つには、母親が病気になって心配だったということもある。また、合計で3年間いて米国にもう魅力を感じなくなってしまったということもある。それよりも何よりも、このまま米国にいたのでは、心の中に日本のマッキンゼーを逃亡したという傷が残ってしまうと南場さんは思ったのだ。一度戻って、きっちりと苦手意識を克服した形で次に進みたかった。
「最後の仕事」で迎えた大きな転機
ところが、元の職場に戻って南場さんはすぐに思い出してしまった。自分がここではダメ人間だったということを。実は、これは南場さんの思いこみで、そのときも、海外留学以前も、彼女に対するまわりや上司からの評価は悪いものではなく、彼女が頭に描いている「あるべき理想の自画像」に満たないというだけのことなのだが、南場さんは自分に納得が行かず、他の道を探すことを決意する。上司に恩返しをするために最後に一つだけ仕事をして、それでマッキンゼーを去ろうと思っていた。
その仕事が南場さんの大きな転機となった。上司や先輩が全面的にバックアップしてくれたこともあって、最高のチームワークが発揮でき、成功を収める。そこで南場さんは気づいたのだ。自分そのものにバリューがなくても、結果としてチーム全体でクライアントにバリューを示せればそれでいいのではないか、と。「私はアホです」とさっさとカミングアウトして、足りないところは補ってもらえばいいのだ。そう思うと気が楽になって、この仕事をもう少し続けてみようと考えるようになった。
おかしなもので、一度悟りが開けると状況は一変するものである。南場さんは仕事がどんどんおもしろくなっていった。順調に昇進も果たして、視野が次々開けてくる。1996年には、34歳の若さにしてマッキンゼーのコンサルタントとして最高の職位であるパートナーにまで上り詰めた。マルチメディア領域を専門として、クライアントに次から次へと新規事業の提案活動を展開、苦手意識の克服どころか企業経営者たちに一目置かれるエリート・コンサルタントになっていた。



