ホーム平成の世にサムライを探して[第八回]小林至-前編-
平成の世にサムライを探して

小林至-前編-ただただ野球が好きで生きてきたらこんな軌跡になりました。

東京大学から千葉ロッテマリーンズに入団、大きな話題となった小林氏。その後渡米してコロンビア大学でMBAを取得され、現在は、江戸川大学の社会学部助教授を務めつつ、福岡ソフトバンクホークス株式会社の取締役として球団経営に携わられています。その波乱万丈の人生には、話を聞いているこちらまでジェットコースターに乗っているような気分になるダイナミズムがあります。

野球を始めたのは小学校に上がる頃から。
中学ではクラブホッピングを余儀なくされる。

小林至(こばやしいたる)プロフィール
1968年1月、神奈川県生まれ。
神奈川県立多摩高校を卒業後、東京大学へ進学。東京大学でエースとして活躍したのち、練習生を経て、1992年、千葉ロッテマリーンズにドラフト8位で入団、翌年退団。渡米の後、コロンビア大学経営大学院修了(MBA取得)。1996年、ザゴルフチャンネル入社(フロリダ州)。通訳、翻訳、解説に従事。2000年、同社を退社後、帰国。2001年、参議院議員選挙に東京選挙区から立候補するも落選。2002年、江戸川大学社会学部助教授就任。2005年、福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役、福岡ソフトバンクホークスマーケティング 株式会社取締役就任。現在に至る。

天は二物を与えずという。何かに秀でていれば、何かは不足しているもので、結局、人間は平等なのだと、この格言は言いたいらしい。しかし、この人を見ていると、そんなことはただのなぐさめだと思う。オールマイティという言葉はこの人にこそふさわしい。どうして一人の人間がこんなに何もかもできてしまうのだろう。しかも、何でもできる人間にありがちな妙に嫌味なところというのがこの人にはまったくない。この人とは誰か。東京大学(以下、東大という)から千葉ロッテマリーンズ(以下、ロッテという)に入団した小林至投手のことだ。現在は大学で助教授を務めつつ、福岡ソフトバンクホークスで球団経営に携わっている。

小林さんは1968年1月、神奈川県逗子市で生まれた。子どもの頃はとにかく活発で、“調和を乱すタイプ”だったという。幼稚園の頃、並んで何かをもらうというようなとき、彼は列に並ばずにさっと一番前に入ってしまうのだった。当然、物議を醸したのだが、小林さん自身はよく覚えていないという。

野球は小学校に上がるか上がらないかという頃から自然に始めた。スタートは、ベースの代わりに石を置き、フィールドを三角に形作る、いわゆる三角野球だ。テレビゲームがない当時、野球は取って変わるものがないくらい男の子の遊びの代表的なもので、そのおもしろさに目覚めた小林さんは、近所の競輪場の外やお寺の境内を本拠地に毎日野球に明け暮れた。小学校5年のとき、川崎市多摩区への転校をきっかけに近所の少年野球チームに入る。ポジションは投手兼一塁手兼外野手。貴重なユーティリティープレーヤーだった。

小学校卒業後、そのまま学区内の中学校に進んだのだが、そこには野球部が存在しなかった。一説によると、当時の校長先生が野球嫌いだったからだそうだ。しかたがないので、小林さんはバスケットボール部に入部した。しかし、毎日の練習が厳しいためしだいにさぼりがちになり、幽霊部員となって夏休み明けには正式に退部する。小林さんは「やっぱり自分には野球しかない」とシニアリーグに入団する。

ここは練習場が遠かった。米軍の厚木基地にあったため、小林さんの住む生田からだと電車、バスを乗り継がねばならず、ゆうに片道1時間半はかかった。通いきれずこれも挫折。今度は卓球部に入る。同じ球技とはいえ、まったく趣の異なるスポーツである。「またなぜ卓球に?」と尋ねたら、「バスケットボール部を辞めた友達が大勢入部していて誘われたから」という答えが返ってきた。野球以外のスポーツは、もうどれを選んでも小林さんにとって大差ないという感じだった。

しかし、失意の日々を送ったかというとそうでもない。神奈川県では地域のスポーツとして軟式野球が根づいていて、小林さんはピッチャーとしてチームに参加、大会で準優勝を記録したことがある。といっても参加したチーム数はそう多くなく、3回勝てば優勝戦にたどりつけたということだが。

中学生時代、成績はどうだったのだろう? 小林さんによると、3年間を通じて“まあまあ”だったという。勉強はそれなりにしたけれど、目立つほどの成績ではなかったと。しかし、それは謙遜かもしれない。高校受験のとき、小林さんは学区内で一番とされていた神奈川県立多摩高校(以下、多摩高という)を勧められたのだから。

少々説明が必要だろう。神奈川県には「神奈川方式」と呼ばれる独自の入試制度がある。現在はその内容もかなり変わっているのだが、当時は国語、数学などの主要5科目と、体育、美術などの4科目を合わせた9科目の成績と人物評価からなる内申書によって、中学校の教師が、受験校を“指導”するしくみになっていた。生徒は指導された高校を受験するかぎりまず不合格にならないのだという。漠然と多摩高に行ければいいなあと考えていた小林さんは一安心。ちゃめっ気を出して、友達が受けるからと冷やかしで国立の大学付属高校と私立高校を1校ずつ受験した。しかし、どちらも見事に不合格となって、当初の予定どおり県立高校へ進んだ。

野球漬けの生活を送るもついにレギュラーになれず。
現実の厳しさを味わった高校時代

多摩高には野球部があった。小林さんは迷わず入部した。野球三昧の生活ができる待ちに待った日が来たのだ。多摩高の野球部は3学年で40〜50人。とりたてて強くはなく、甲子園出場など望むべくもないが、多くの高校野球部もそうであるように、練習は厳しく、夏の大会の直後と年末年始以外、休みという休みがなかった。小林さんの高校生活は、文字どおり野球漬けだった。

小林氏しかし、そこまで没頭したにも関わらず、小林さんはとうとう最後まで多摩高でレギュラーになれなかった。試合に出られるならと、一塁手、外野手、投手とポジションを転々としたのだがダメだったという。プロにまでいく人が高校でレギュラーになれないのは不思議だと門外漢は思うのだが、その大きな理由の一つに“中学時代の空白の3年間”を挙げた。

「野球は複雑なスポーツで、細かい、さまざまな技術を身につける必要があります。ある程度うまくなるのに時間がかかるんですよ。それを中学できちんとやってきたかどうかはすごく大きい。高校の3年間だけでは技術の蓄積が間に合わなかったんだと思います」…小林さんはそう分析する。

それでも野球への情熱は冷めなかった。高校3年の6月、大学野球選手権に大阪大学(以下、阪大という)が登場した。激戦区の近畿予選を勝ち抜いて本大会に出てきたのである。新聞にも取り上げられたのでご記憶の人もあるかもしれない。本大会では一回戦で敗退したのだが、小林さんはこれを見て阪大へ進もうと決心する。県立高校レベルでレギュラーになれないようでは、早稲田や慶応、法政などのいわゆる六大学へ行っても試合に出られるチャンスはないと思っていた。しかし阪大なら、学力から行っても、野球のレベルからいっても、なんとかなるような気がしたのだ。すべては野球を続けるためだった。といっても、受験勉強を始めたのは秋の文化祭が終わってからだった。

野球部で3年生が引退するのは8月。2年半野球漬けの生活を送った小林さんは、少しだけ普通の高校生らしい青春を楽しんでみたかった。友達と海へ行き、文化祭ではバンドを組んで、本人曰く「楽器が出来ないため」ボーカルを担当した。歌った曲は「いとしのエリー」と「長い夜」。万雷の拍手を浴びた。

文化祭が終わってから、小林さんは見事に生活を切り替え、学校に行かなくなった。受験勉強をするためだ。当時の多摩高では、受験勉強するためであれば3年生の後半に学校にそれほど行かなくとも良かったためだ。進学校で学年の90%以上が大学へ行く同校では、ガラガラの教室で推薦入学の決まった人間だけが出席しているのが伝統だった。

しかし、さすがに準備が間に合わず、一年目の阪大受験は玉砕した。共通一次試験につまずき、起死回生を賭けて挑んだ二次試験は、あまりにもちんぷんかんぷんで戦意を喪失、不覚にも眠りに落ちてしまったという。大惨敗である。

かくして進学先は河合塾となり、浪人生活スタート。一回状況がちゃらになってしまうと、なにも阪大にこだわる必要がないような気がしてきた。予備校の授業では東大受験コースを取った。その最大の理由はいい授業を受けられる、という他愛もないものだったが、考えてみると、東大はれっきとした東京六大学の一員である。それでいて野球のレベルはほかの六大学よりは高くない。東大へ行けば野球が続けられる。そう考えて小林さんはほんとうに東大を第一志望に据えた。

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